博士課程後期について
(※他のサイトで同じ文章を見かけますが,本サイトがオリジナルです.転用は構いませんが,その場合は引用をお願いします.)
近年の大学院進学状況:
本学の大学院博士課程前期(いわゆる修士課程)の進学率は70%以上です.このような高い数字は全国的な傾向で,いろいろ考えず誰もが修士まで進む大衆化時代といえます.これは大学での勉強が広く浅くなり,社会で要求される能力を身につけるには短すぎること,企業が修士を雇用の中心に考えていること,多くの学生がとりあえず修士まで行っておこうと考えていることなどの理由があります.一方で,大学院博士課程後期(いわゆる博士課程)は修士修了後に標準で3年を要するので,学生の皆さんの精神的バリアが高く,修士からの進学率は10%以下です.
博士課程の教育:
修士課程が大衆化してしまった今,本当の高度教育が博士課程です.ここは単に技術を磨くだけではなく,独創性,企画力,指導力など,社会のハイクラスで必要となる人間性を総合的に勉強します.これらは社会に出て自然と勉強できると考えがちですが,それは幸運なケースです.就職すると,誰もが給与の見返りに労働しなければなりません.社員は何かを得る以上に自らを消耗するのが現実です.特に近年の企業は余裕がなく,また社員の流動性も高まっているため,時間をかけて社員を育てることなく,すぐに使うようになりました.使い捨てにならないためには,結局,自ら勉強する必要があります.博士課程は,その重要な選択肢となるものです.
博士号の意義:
専門能力について,修士よりもしっかりとした個人評価が行われ,博士号が与えられます.学生の皆さんは博士号について明確な意識がないかもしれませんが,欧米だけでなくアジア諸国でも,ある程度以上の社会的地位につくための必須条件となっています(そう認識されていない日本は珍しい先進国です).また,時代はグローバルですから,これまで博士号に無頓着だった日本企業も(下に書くような論文博士がなくなりつつある状況で)その重要性をジワジワと認識してきています.もし皆さんが,有力企業や国立機関などの中枢で研究者や開発者として働きたければ,ぜひ博士号を取得してください.ちなみに学士と修士は,世界的に見ても社会的地位にほとんど差がありません.博士だけに大きな優位性があります.
何年かかる?:
最初に博士課程で3年かかると書きました.修士課程と合わせると,大学院は5年です.ただしこれは標準的な場合です.本学では短縮修了という制度があります.例えば修士課程でジャーナル論文を執筆し,実際に掲載されれば,修士の能力は十分と認められ,最短1年で修了して博士課程に進学できます.博士課程でも同様に基準があり,それをクリアーすれば,短縮修了が可能です.標準でトータル5年の大学院は,最短で3年まで短くなりますので,研究が順調な学生は,実は修士課程を標準的に修了するのとあまり差がありません.
就職後に博士号を取れる?:
かつての日本では,就職後に企業の仕事内容を論文にまとめて学位申請する論文博士が数多くいました.しかし近年は,企業の仕事ではなく,個人の創造活動に学位を与えるという学位の本来の精神に立ち戻って,社会人博士コースに入学してもらうように制度変更してきています.それでも,仕事と博士の研究の内容が合致していない限り,企業の理解を得て通学することはほとんど不可能です.つまり,就職後の博士号取得はどんどん難しくなっています.別の考え方として,一度,社会を見てから大学に戻る選択もあるかもしれません.しかし修士の研究はいったん途切れるので,数年後に大学に戻ったとしても,ブランクを埋めるのに予想以上の時間がかかり,修了が遅れる危険があります.後から後悔することのないように,いま,よく考えてください.
会社で時々聞く話:
昨今,人手不足が深刻になり,各社とも優秀な学生を早く確保したいので,年明け前から1日インターンシップといった実質的な就活の場が,年明け後には見学や面接が実施されます.そして会社の要職にある人から「博士号がなくてもやっていけるよ」と言われた学生の話をよく聞きます.ところが,それを言っている当人は博士号を持っていたりします.おそらく,博士号を重要と思いながらも,論文博士でいつでも取れると考えているかもしれません.論文博士がほぼなくなった一方で,グローバル化がどんどん進む現代社会では,このような考えがそのまま通用する状況ではなくなってきました.
博士課程でやっていける?:
うまくやっていくには二つの条件があります.進学は研究を続けることなので,研究好きなことがまず必要です.学歴のためだけでは優れた研究はできませんし,気持ちを保ち続けられません.むしろ自分の今の状況を振り返ってください.研究室でうまくやれている,成果が出ているとしたら,それは自分が研究に向いているサインです.それを素直に,前向きに捉えて下さい.次に自己管理し,着実に研究にあたる心構えが必要です.就職した学生は企業によって強制的に鍛えられます.一方,博士学生の場合,自分の意思で「自らを鍛える」という気持ちに達したとき,能力が自然と十倍に跳ね上がり,就職した人とは違う形で人間をレベルアップさせてくれます.
分野が固定化されてしまう?:
確かに博士課程へ進学すると,少なくとも近い将来までその分野を続けていかなければなりません.進学をためらう人はこの点をよく指摘しますが,実際はそうとはいえません.就職すれば,社内で配属先が決まるまで,様々な仕事に就く可能性があることを想像し,ワクワクしながら待つことはできます.しかし配属されてしまえば,何年も同じような場所で同じような仕事を続けることになります.つまり就職しても,すぐに分野は固定化されます.博士課程で早く決心すれば,高い能力とキャリア,深い洞察力や広い視野が得られます.そうなれば,就職後も仕事の決定権を持つ要職に就き,様々な分野を巻き込むプロジェクトリーダーになる可能性も生まれます.つまり長い人生を考えたとき,幅広い仕事への展開は博士の方が容易です.
「みんなと同じ」から踏み出す:
修士までで就職する人の場合,就活,就職,そしてその後の数年間はずっと同世代の横並びが続きます.若いうちは誰でも,多少でも,「みんなと同じ」を意識するでしょう。しかし昨今の企業では,早ければ20代から「どこがみんなと違う?」という,個人のアイデンティティが問われるようになり,それがその後のキャリアに大きく影響するようになります.個人の性格や趣味が生きる場面もあると思いますが,正式な教育として,また世界的に通用する経歴として,それが獲得できるのが博士課程です.みんなと違うことに孤独を感じることもあるでしょう.でも,社会に出れば,早晩,孤独な立場になって,自らの意志や力で進む必要が出てきます.博士学生のような立場は,独立心や独自性を育み,横並びのみんなとは違う何かを与えてくれます.
様々な交流体験:
博士課程になると,研究発表や共同研究で国内外の様々な場所へ行く機会を得ます.世界を巡り,外国の研究者や学生と接し,研究のやり方や設備,文化や生活習慣の違いに触れることは,新鮮な驚きを与えてくれます.コロナ禍が終息した今,在学中に海外へ5回以上行くことも,短期で在外研究することも珍しくありません.また,このような経験が買われて,就職後も海外体験が多い職に就くことも可能です.昨今,グローバル化が叫ばれていますが,特別に海外と関わる仕事でない限り,修士で就職後に何度も海外に出向く機会をもらえる人は少ないです.この違いは,長い人生を考えたとき,想像以上に大きいものです.
後輩指導体験:
博士課程では,研究を自ら立案し,後輩と協力し,結果として一人では得られない多くの成果を得るような,チーム運営が期待されます.指導力は会社の中で自然と身につくものと考えられがちですが,そんなに簡単にはいきません.会社でリーダーになるには10年単位の年月がかかります.学生時代が学部や修士で終わると,一度も指導体験がないまま会社で年月を重ねます.有能な若手社員がリーダーの立場になったとき,どうしたらいいかわからずに苦悩するケースをよく聞きます.博士課程を経ると学生時代にチーム運営をミニ体験するので,リーダーとしての自分の長所・短所,どうすればメンバーが円滑に動き,成果があがるのかを一度は真剣に考えてから社会に出ます.これが10年後のその人の能力を大きく変えていきます.
金銭的負担とサポート:
通常の期間で博士課程を修了するのは27歳ですから,お金のことも気になるでしょう.しかし様々なサポートシステムがあるので,多くの学生は大丈夫です.その代表が日本学術振興会特別研究員(通称,学振)です.これは修士で優れた研究を行った学生を,学生のままで国が雇用するもので,月額20万円の給料が得られます.また,たとえこれに不採用となっても,理工学府の特待生/特別研究員制度,財団の無償奨学金,各研究室のリサーチアシスタント雇用などもあります.加えて,修士課程の奨学金返還免除や博士課程の授業料免除の可能性も高いです.これらのインパクトは相当大きいのではないでしょうか.
就職はどうなる?:
博士になったらそのまま大学に残る?博士課程に進むと就職が難しくなる?と考えている人が多いようです(特に皆さんの親の世代は).確かに研究員や教員として大学に残る人もいますが,多くは普通に企業に就職します.特に近年,社内で人材育成が難しくなった企業は即戦力を採りたがるので,博士の就職は以前より容易になりました(修士と大差ない).ここでは企業リクルーターを通じた普通の就活ももちろんありますが,学部や修士には見られないスカウトも頻繁です.博士学生は学会などで同分野の企業人と頻繁に接しますから,学生の個人名が分野内でささやかれるようになり,○○君はどこに就職するの?よかったらうちに来ないか?といった個人評価で就職が決まるパターンです.就職先の適/不適や交渉は,指導教員と相談するのがいいでしょう.
就職後の処遇は?:
初任給が特別に高いことはなく,年齢相応でスタートすることが多いです.しかし長い目で見ると,30歳台以降の収入は修士修了と比べて平均で30%以上高いというデータがあります(右図).これは,博士がより創造的な業務に就いて,企業・機関に貢献するからです.そして,創造的な仕事は作業的な仕事と比べて,様々な意味で自由度が高いです.社会に出て,「収入」と「自由」をより多く手に入れられるというのは素晴らしくないですか?
人生(キャリア)を考えよう:
人生100年時代と言われますが,本気で活躍できるのは30〜60代でしょう.そのとき自分が輝けるかどうかを想像してみてください.いままで男性は,横並びで有名企業に就職,仕事を覚えてステップアップし,やがて家庭を持って定年まで働くのが定番のキャリアでした.しかし終身雇用は既に崩壊しており,能動的に動かなければ,早々に輝きが失われかねません.女性は,有名企業に就職しつつ,結婚,出産などで休職・退職し,子育てが一段落して復帰...などが定番のキャリアだったかもしれませんが,男女が仕事と家庭に共同参画する時代は既に始まっています.いまはまだ途上にある社会意識も,ライフイベントサポートも,今後,急速に定着し,10年後には男女がほぼフラットになるでしょう.つまり男女を問わずキャリアを追求する時代が間近に迫っています.ちなみに欧米だけでなく,アジア諸国もこの点では日本より進んでいます.日本も急速に追いつくでしょう.
決断を周囲が支えてくれる:
修士に入学すると,学生によってはすぐに夏のインターンに向けた活動を開始し,秋には本格的に就活…,と異常なほど就活が早くなっています.そんな周囲の状況に接しているうちに,博士志望の学生も将来への悩みが深くなり,いつまでも決断できない場合があります.でも決断してみて下さい.その過程で将来を真剣に考えるようになり,(不思議なことですが)自然に能力が上がります.また上述のように,ジャーナル論文を書いていれば,短縮修了の可能性が生まれます.5月が期限の学振の申請も採択されやすくなります.研究室の教員も,同分野の企業研究者たちも,その決断を祝福し,その学生のために,研究内容的にも,経済的にも,様々なサポートを考えてくれるでしょう.すべてがどんどん,前向きな方に動いていくのです. 「天は自ら助くるものを助く」です.